ヨガの八支則

今日はヨガの八支則といわれるものを説明します。

いま日本のヨガ教室で行われているものの多くはハタヨガといわれるものが多く「アーサナ」つまりはヨガのポーズをとることが基本となってクラスが進められています。そこにプラーナヤーマ。気を整えていくものや、呼吸法を行ったり、そして、体の感覚を制御したり、意識を集中を深め、最終的には「サーマディ」悟りを目指すのです。

 

悟りといわれると自分とは、とてもはるかかけ離れた遠いことのように思われるかもしれません。仙人みたいな!?

それは心が平和で穏やかな状態であったり、全てを受け入れる心、幸福な状態、まさに誰もが望むところでもありますよね。

そんなサーマディへといたるための道しるべとしてできたのが「八支則」という八段階の教えがヨガのベースとなっているんです。

心の平和が一人一人あれば世界の平和へとつながります。まずは自分の心からはじめましょう。

次回は、そんな心の平和への第一段階である「ヤマ」という教えについてふれようかと思います。

ヨーガの八支則(アシュタンガ・ヨーガ)

それでは、これら総合的なラージャヨーガ代表的な教典、パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」にそってヨーガの構造や行法を見ていきましょう。

この教典はパタンジャリという聖者によって紀元前から綿々と受け継がれてきたヨーガを、紀元後4~6世紀頃に記述されて完成されたといわれている教典なんです。

八段階の積み重ねによって構成されていますから、アシュタンガ(8つの部分=八支則の)ヨーガといわれています。

ただこれもその頃たくさんの宗派があったらしく、その中の一つの行法ともいわれています。

この総合的なヨーガの行法は、その目的に到達するため、日常の生活においての行動規範である禁戒や勧戒などを山の裾野にして、段階的に身体を整え、呼吸を整えながら、徐々に山の高みに上っていく道のようでもあります。

そして、この実践の過程においては、五つの鞘からなる総合的な私達の存在の各層に働きかけて、人間が本来備えている肉体と精神と霊性の資質や能力が高められて、バランスが生まれ、心身の健康度が飛躍的に高まり,自身の生き方、自己実現に多大な実りをもたらすものとなります。

私は自己実現を超える自己超越に至ると思っています。自己実現は単に自分の望みが叶った状態であり、お金や、存在価値、環境に満足している感じともいえて、自己超越は自己の欲を超え公に徹し始める境地とも思っています。

第一段階 「禁戒(きんかい)」= ヤマ

心の平安を得るために、他者とのエネルギーの交流の中で私達の存在が成立しているという事実にまず目覚め、自ら発する他者への行為を良好にする事が大切。

これは「出したエネルギーの質が、何らかのカタチで、同じ質のものが当人に帰ってくる」という、カルマの法則を基盤にしています。

禁戒の後に勧戒という順序は、命に良い事をなす前に、まず命を害するものをとり除く。という事が先決で、医学でいえば薬を飲む前に、毒を吐き出させるという事です。

これを「金剛律(ダイヤモンドの戒律)」のあとに「黄金律(黄金の戒律)」という順序となります。

ヨーガ・スートラでは、次の基本的な五つの生活法則を示しています。

① 非暴力(アヒンサ)…仏教は不殺生戒

生きとし生けるものに無用な暴力、殺生をくわえない。

そうすると、害されなくなる。

② 正直(サティア)…仏教は不妄語戒

言葉と行動を一致させ誠実なものとする。

そうすると信頼を得る。

③ 不盗(アステーヤ)…仏教は不盗戒

他人の物、時間、喜びなどを不正に盗らない。

そうすると、豊かになる。

④ 梵行(ブラフマチャリヤ)…仏教は不邪淫戒

性的なエネルギーを適切にコントロールする。

すると、強健になる。

⑤非所有(アパリグラハ)…仏教は不貪戒(不飲酒戒)

所有欲を克服しものに執着しない。

すると、生の目的を悟る。

 

第二段階 「勧戒(かんかい)」= ニヤマ

この地上において本来の自己を実現するために、日々の暮らしの中での良い生活習慣の積み重ねが、最も大切です。

この勧戒は、自分自身の生活態度を改善して、心身ともに霊性を高める五つの生活法則である「黄金律」が説かれています。

①        清浄(シャウチャ)…ヨーガにおいての清浄は、外面と内面双方における、清潔さが求められています。肉体的な浄化法と心的な浄化法である(慈悲喜捨)がそれにあたります。

②        知足(サントーシャ)…与えられた環境や現状をまず受け入れ、感謝し肯定の姿勢から、物事に対処していく態度です。

③        精進(タパス)… 日常において自らに課した「行」、仕事の積み重ねによって、心身を強靭にして目標の実現力を高めます。

④        読誦(スヴァーディヤーヤ)…常に聖典をよく読んだり、真言を唱え、「生命の智慧」の理解や学習を怠らない事。

⑤        自在神祈念(イーシュヴァラ・プラニダーナ)…各自を守っているハイヤーセルフともいう守護神に、人生における気高い目的の達成を祈り願う事です。

第三段階 「体位法(たいいほう)」= アーサナ

いよいよヨーガの特徴であるいわゆるポーズの段階です。

アーサナという名詞は、「座る」という動詞、「アース」から転化したもので、元来、「瞑想」を主な行法とするヨーガは、座ることが基本でした。

およそアーサナ(座法=体位法)は大きくわけて

①瞑想の為のもの

②リラックスの為のもの

③身体を造る為のもの

とに分けられます。一説ではシヴァ神は、8400万のアーサナを説いたといわれていますが、その中でも84のアーサナが優れているということです。

他のヨーガ教典は32種類のアーサナを説いています。

現在でも、立位、座位、寝位のヴァリエーションを入れると、多くの種類になりますが、いずれにしてもゆっくりとした呼吸と共に、身体の一定の型を通して、「動く瞑想」、体を使った祈りといった状態をめざして、身体的な健康を実現します。

この領域はアンナマヤ・コーシャ(食物鞘)の調整になっています。

アーサナを日常生活の中で規則的に一定の時間行じていくと、身体的には、血行を促進し、筋肉、骨格、内臓器官、神経、ホルモン体に良い影響を与えて、それにより、心の状態を安定させ、各人の性格や、生き方にも大きな影響を与えることとなります。

ヨーガスートラにおいては「アーサナ」を以下のように定義しています。

「座法(アーサナ)は安定して、快適なものでなくてはならない」

「緊張をゆるめ、心を無なものへ合一させなくてはならない。」

「そのとき行者は、寒熱、苦楽、毀誉、褒貶等の対立状況に害されない。」

 

第四段階 「調気法(ちょうきほう)」= プラーナーヤーマ

調気法は、宇宙のエネルギー=プラーナ(生命力)(気)を呼吸法によって、コントロール「アーヤーマ」する行法です。

様々に工夫された呼吸法により、酸素をしっかり体内に取り入れ、血液を燃焼させ、生命エネルギーに変換する作用に加え、交感神経と副交感神経のバランスをとり、感情とリンクして精神の状態をコントロールしていくことになります。

そのことにより心肺機能が高まり、病気を追放して、静かで落ち着いた心を育み、霊妙なる「宇宙の気」と交流する。

これはプラーナヤマ・コーシャ(生気鞘)の調整になります。

ヨーガスートラにおいて「プラーナヤーマを行ずる事によって、心の輝きを隠している煩悩が消える」「その外、心が色々な雑念に堪えられるようになる」と述べられています。

 

第五段階 「制感(せいかん)」= プラティヤハーラ

プラティヤハーラとは、「向けて集める」というような意味になります。ここから今までの身体生理的な部門から、心理的な部門へと入る掛け橋となるもののがこのプラティヤハーラの段階です。

座法や呼吸法の後、意識的な「動作を納めて」、瞑想の姿勢に入ります。その時、現れてくる静けさの中にて、外の世界に向かう意識や感覚を対象から離し、意志の働きを内側に向け、冷静に自己をみつめる心理作業の準備になります。

外界の対象を意識せずも、つかみ、つかまれている自分の思考と、五感は自ずから、その対象から離れ、自己の内面へと集中していく行法は、絶えず心を悩ませ、不安を与える問題から、一旦心を引き離し、「何ものにもとらわれない自在な心」にリセットする機会を作ります。

この領域は、マノーマヤ・コーシャ(意思鞘)と言われる調整に入ってきます。

ヨーガスートラにおいて、「諸感覚器官がそれぞれの対象に結びつかないで、あたかも心素(チッタ)に似たものの如くになるのが、制感(プラティヤハーラ)である」と言われている。

第六段階 「凝念(ぎょうねん)」= ダーラナー

凝念とは、心をある一点にとどめて動かさないことです。この凝念と、次の静慮、「三昧」の段階は実際には、はっきり知覚できない一連の心理的流れとなり、総称して<統制(サンヤマ)>と呼ばれてます。

ここでは、主にロウソクの炎や、特定の図形や、自分の眉間の一点に心を集中するとか、一つのテーマに意識を集中する方法などを用います。

この領域は、ヴィジナーナマヤ・コーシャ(理智鞘)の調整に入っていきます。

ヨーガスートラにおいて「凝念(ダラーナ)とは、心素(チッタ)を特定の対象(物、場所)に縛り付けておくこと。」(と述べられています。

第七段階 「静慮(じょうりょ)」= ディヤーナ

凝念で一点に集中していた意識が、その対象と同化しはじめ、それを中心にして、日常の意識を超えて、ある種の「洞察」や「気づき」が起こり、広く深く、意識が自由に展開されていく状態のことです。

その直感的映像や思考は、やがて自我の認識領域を越え、新たなる「生命の智」をもたらす領域へ導いていきます。

この「ディヤーナ」を中国で音訳し「禅那」となり、日本に渡って「禅」となります。

この領域は、ヴィジナーナマヤ・コーシャ(理智鞘)の中心的調整作業に入ってきます。

ヨーガスートラにおいて「その対象に対する想念が、ひとつの途切れない流れになっているのが、ディヤーナ(静慮)である。」と述べられている。

第八段階 「三昧(さんまい)」= サマーディ

自我の認識領域を越えて、「生命の智」をもたらす領域の中に入ります。

「梵我一如」の心境で主体も客体(対象)も、ともに合一した状態をいいます。

仏教では、これを「空」といいあらわしていますが、この境地は「何もない」という意味ではなくて、直感的洞察や啓示の場であり、宇宙的意識の働く空間とも言われています。

そこでは、きわめて鮮明で充実したものをもって、その味わいは、まさに新たなる生命感と、宇宙的啓示と、感涙の時となります。

ここは、アーナンダマヤ・コーシャ(歓喜鞘)の開示される領域になります。

ヨーガ・スートラにおいては、この体験を「真我が周囲を取り巻いている自然的な存在と自分とを混同していた過失に気づいて、そこの束縛から脱出すること」と説明しています。

これがヨーガ・スートラの八支則について、構造と行法の概要になります。

 

このような内容を初めて読まれる方は、もしかしたら全く意味がわからないかもしれませんね。

私も初めは全く意味がわかりませんでした。でも少しづつヨガを実践し、学んでいくにつれ自分がこの段階か、、とかなんとなくの感覚が芽生えてきました。